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楽天トラベルトップ > FINDING JAPAN & ME ココロが動く、を探しに行こう > #35 水平線の向こうに見る、古の船乗りたちの面影。

FINDING JAPAN & ME  ココロが動く、を探しに行こう

江戸から明治、加賀藩に巨万の富をもたらした北前船の男たち。
命懸けの航海から還った彼らは、疲れた身体を温泉で癒やし、
それを待つ娘たちとの間に“恋のうた”を育みました。
古の海の男たちの生き様と、彼らが残した文化をたどる旅へ。

photo by Nobuyuki Kobayashi , realization & text by Rika Hiro

#35 水平線の向こうに見る、古の船乗りたちの面影。彼らの生き様と“恋のうた”に、想いを馳せる旅へ。

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江戸から明治、加賀藩に巨万の富をもたらした北前船の男たち。命懸けの航海から還った彼らは、疲れた身体を温泉で癒やし、それを待つ娘たちとの間に“恋のうた”を育みました。古の海の男たちの生き様と、彼らが残した文化をたどる旅へ。

東京から約2時間。訪れたのは、赤い瓦屋根と古い船板の塀が続く加賀橋立の町並み。江戸から明治にかけて活躍した北前船の船主たちの屋敷が連なる古い集落です。橋立地区の赤い瓦屋根は、島根県の石州瓦の技術が北前船によって伝播したものとされ、彼らが富だけでなく文化をも築いた証といえます。

北前船の船主の中でも資産家であった「酒谷長兵衛(さかやちょうべい)」の屋敷が、現在は「北前船の里 資料館」として展示公開されています。約1,000坪の巨大な屋敷内には、最高級建材の柱や梁が贅沢に使われ、当時の船主の財力を物語っています。

北前船とは、現在の大阪〜北海道間を航海し、各港で積荷の売買をした回船です。ただ他人の荷物を運んで運賃を稼ぐ「運賃積み」とは違う新しい商売方法で、江戸後期から明治にかけて活躍しました。その繁栄ぶりは、当時高所得者であった有名医師や織物製造業者の数十倍もの所得を、北前船の船主らが得ていたことからも明らかです。

北前船の里 資料館には、船主が保管していた『引札(ひきふだ)』も常設展示されています。引札とは、門屋・商店が開店やセール時に広告として送る“チラシ”に相当するもの。当時物流の象徴であった北前船の船主がこれらを多く保管していたことも頷けます。

引札には、船や恵比須さま、鯛などの縁起物が描かれ、鮮やかな色使いや古さを感じさせない構図が魅力的です。その出処は様々で、北前船が全国各地を航海した証でもあります。こちらは遠く北海道石狩にある醤油醸造所の引札。

昼食に訪れたのは、地元橋立産にこだわった新鮮な魚介を味わえる「料亭 新保」。秋冬の橋立名物と言えば、何といっても“カニ”。橋立人の誇りであるカニを調理する板長の目は、真剣そのもの。

身がつまった良質なカニほど、器具を使わずに手で“ズルッ”と身がむけるそうで、料亭 新保では店員さんが1つ1つ丁寧に身をむいてくれます。柔らかい食感と深い甘味が特長の橋立のカニは、地元飲食店で取り合いになり県外への発送分がほぼ残らないため、ここでしか味わえない贅沢品なのだそう。

ズワイガニの姿盛りや、陶板焼き、雑炊など、テーブルがカニで埋め尽くされるフルコースは圧巻の迫力。11/6のカニ漁解禁以降は、カニ料理のみの予約で既に満席に近い状況とのこと。その本場の味わいに、誰もがすっかり魅了されます。

夕方の6時半、ズワイガニの水揚げで有名な橋立漁港の競りが始まります。「今日は海がしけたから、人も魚も少ない」と競り人が話す中、それでも多くの魚介が床に並べられています。次々と魚の大きさが読み上げられる中、競り人が気に入った商品に入札の番号札を投げ入れて行きます。

ズワイガニはもちろん、橋立漁港では、甘エビ、タイ、ヤリイカ、高級魚のノドグロなど、新鮮な魚介が毎日水揚げされます。それらの品定めは、「周りの港と時期の相場を頭に叩き込むのが前提」と威勢よく語る競り人。その姿に、北海の荒波の世界を生きた男たちに通じる、“北前魂”を見た気がしました。

午後8時、橋立を後にし向かった先は、片山津温泉。闇に浮かぶ浮御堂(うきみどう)と巨大噴水が美しい、夜の「柴山潟(しばやまがた)」を訪れました。竜神伝説や河童伝説を持つ約2平方キロメートルの広大な湖です。

この夜は、10月末まで実施されるナイトクルーズに参加し、巨大噴水のすぐ側まで近づきました。事前に願い事を書いた紙を水面に落とすと、それを噴水のポンプが吸い込み、水と一緒に空に巻き上げてくれるというロマンチックな施しも。冬に飛んでくる小白鳥をイメージしたという噴水は、最高70メートルの水しぶきを上げます。

船上では、1分以上の長い間火を灯し続ける、特注の花火も楽しむことが出来ます。空を見上げれば満点の星が輝き、数分間でいくつもの流れ星を見つけました。秋の涼しい風が吹き抜ける中、静かで幻想的な夜が更けていきました。

翌朝、宿泊した「山中温泉 白鷺湯たわらや」自慢の露天風呂で、朝の光と渓谷の緑を眺めながらゆっくりと温泉浴。約1,300年の歴史を持つ山中温泉は、クセのないやわらかな泉質で、命懸けの航海を終えた北前船の船頭たちが心と身体を癒やした場所です。古の船乗りたちは、湯船に浸かりながら何を語ったのか、ぼんやりと考えます。

温泉で心と身体をほぐした後、山中温泉のゆげ街道を散策。温泉街として綺麗に整備された通りも、その深い歴史に触れた後に改めて見渡せば、違った趣を感じることが出来ます。

山中温泉の昔ながらの総湯(共同浴場)である「菊の湯」へ。地元の人が飲泉用の温泉をペットボトルに注ぐ日常風景に、人々にとっての温泉の大切さを実感します。

男湯前の源泉で、「菊の湯たまご」作りが体験出来ます。3個入りで210円とお得。源泉に入れて蓋をしてから出来上がりまで約40分かかるそうで、その間に山中温泉街を散策することに。

向かったのは、山中温泉街に沿って流れる大聖寺川が作り出す渓谷「鶴仙渓」。透き通った水と深い緑が美しく、秋は紅葉の名所としても知られています。渓谷沿いの遊歩道を歩いていると、川に入り鮎釣りをする人の姿が。

鶴仙渓の上流にかかる「こおろぎ橋」は、自然の豊かさ故の行路の厳しさから“行路危(こおろぎ)”と名付けられたという話や、秋に鳴くコオロギの音から名付けられたという話もあるそう。ベンチに腰掛け川のせせらぎに包まれると、心洗われます。

菊の湯に戻ると、頃合い良く半熟の菊の湯たまごが完成。温泉に含まれる香りと塩味が染み込んだ、やさしい自然な味わいです。

菊の湯に隣接する「山中座」では、加賀を代表する民謡“山中節”の舞台を鑑賞出来ます。山中の伝統工芸である“山中漆器”の職人が仕上げた、豪華絢爛な漆塗りの天井がお出迎え。

公演前に、山中節の若手芸妓である「小乃葉さん」にお会いしました。小乃葉さんが山中節の中で一番好きだという「ゆかた肩にかけ 戸板にもたれ 足でろの字をかくわいな」という歌詞は、好きな人の名前の頭文字を足先で書く娘の様子を表したものだそう。

公演が始まり、小乃葉さん含む3人の若手芸妓が山中節を舞います。山中節は、北前船の船頭が北海道の江差や松前で覚えた追分(おいわけ)を湯船で歌い、当時彼らの浴衣を持ち、外で入浴客を待っていた“ゆかたべー”と呼ばれる娘が、その歌に応え、やりとりが生まれたことが始まりと言われています。

浴場から生まれた山中節の歌声は、まるで湯船に浸かりながら歌っているかのような抑揚が特徴で、山中ならではの温泉情緒に溢れています。その歌詞の内容は、北前船の船頭との別れを惜しむもの、航海中に会えない寂しさを嘆くものが多く、山中節は“恋のうた”ともいえます。電車も車もない遠い昔の人の心にも、現代人と同じ恋の切なさがあったことを、山中節は教えてくれました。

山中温泉を後に、次に訪れたのは山代温泉街。ここにも、総湯と呼ばれる共同浴場が残っており、それを中心に旅館や商店が立ち並ぶ独特の町並みが形成されています。これを“湯の曲輪(ゆのがわ)”といい、明治から変わらぬ懐かしい温泉街の景色です。

山代温泉街の無料の足湯には、休憩しながら世間話に花を咲かせる地元の人の姿が。今も昔も、山代の温泉は人々にとって大切な交流の場でもあるようです。

「願いを一言だけ叶えてくれる」という、ユニークな“一言地蔵”を発見。昔、山代が水資源に乏しかった頃、このお地蔵様に一言願いをかけたとたん、谷間から水をひいて救済してくれたという言い伝えが残っているそう。

一羽の鳥が、奈良時代の高僧である「行基菩薩」を導いて発見させたとされる山代温泉の縁起。そんな山代温泉のご本尊である薬王院温泉寺は、国指定重要文化財でもある、緑に囲まれた古い寺院です。

境内奥には、一段一段に“あいうえお…”があてがわれた「あいうえおの小径」と呼ばれる不思議な階段が。というのも、平安時代、寺の住職であった「明覚上人」という僧侶が、母音と子音の組み合わせを研究し、「あいうえお」を作った生みの親であることから、このような階段が出来たのだそう。

あいうえおの小径を上り、更に奥に進むと、明覚上人の供養塔が現れます。薬王院温泉寺を訪れた際には、ぜひ境内の最奥まで進み、日本の五十音の創始者に祈りを捧げてみてください。

山代温泉街中心にある「古総湯(こそうゆ)」は、外観内装のみならず、入浴方法まで明治時代の総湯を忠実に復元した温泉施設。当時の総湯は単なる共同浴場ではなく、町の医療・福祉・観光・歴史・文化・教育・住民同士の交流など、さまざまな役割を果たしていたのだそう。

古総湯の浴室は、九谷焼のタイルの敷かれた床に、湯船に光を落とす色グラスがハイカラな贅沢な内装。浴室内にはシャワーがなく、石鹸等の使用も禁止されており、源泉かけ流しの温泉そのものを味わう昔ながらの入浴方法が体感出来ます。現代人からは考えられませんが、昔の人は温泉を身体の芯まで染み込ませるため、総湯で温泉に浸かった後は何日も家の湯船は使用しなかったのだそう。

2階には休憩室が設けられ、これは明治19年の総湯改装時の増築部分の再現ということ。温泉であたたまった後、2階の窓から吹き抜ける風を感じながら、地域の人々が談笑するやわらかい空間。それは、守りたい日本の温泉地の原風景そのものでした。

旅の最後に訪れた「竹の浦館」は、懐かしい伝承料理や工芸体験が出来る施設。近隣の竹林などの自然が美しく、多くの詩人や画家が訪れた場所で、その建物は北前船の船主らの有志で建てられた古い小学校をそのまま利用したものです。

この日は秋の趣がある「草木染め」を体験。染色が鮮やかになるよう、牛乳を染み込ませて乾かした綿のハンカチに、輪ゴムや割り箸を使って模様作りをしていきます。

ごく普通の玉ねぎの皮で作った黄色い染色液で、ハンカチを煮ていきます。玉ねぎは季節を問わず使えますが、桑の実や、栗のイガ、サザンカの花など、季節の植物を使った染色も体験出来るとのこと。

ミョウバンで色を定着させた後、アイロンで乾かせば、やさしい芥子色(からしいろ)のハンカチの完成。輪ゴムと割り箸で付けた模様が良く効いています。木造の廊下の物干し場に干された情景に、どこか懐かしさを感じます。

老築化が進んだ現・竹の浦館の取り壊しの話が浮上した際、「歴史を残したい」という人々の声で建物が守られたというエピソードを、竹の浦の皆さんは語ってくれました。鉄道の普及と、電報の誕生で物資の情報戦に勝ち残れず、やがて衰退していった北前船。しかし、北前船がもたらしたものは富だけではなく、加賀の文化であり、人々にとっての誇りでした。彼らの生き様に大切な何かを学びに、北前船のふるさと・加賀へ旅立ちませんか。

今回訪れた場所
  【加賀市橋立町】
北前船の里資料館
住所:石川県加賀市橋立町イ乙1-1
    【加賀市神保町】
料亭 新保
住所:石川県加賀市新保町拓15-1
    【加賀市片山津温泉】
柴山潟
住所:石川県加賀市片山津温泉
 
  【加賀市山中温泉】
山中温泉 白鷺湯たわらや
住所:石川県加賀市山中温泉東町2丁目ヘ-1
    【加賀市山中温泉】
菊の湯
住所:石川県加賀市山中温泉湯の出町レ1
    【加賀市山中温泉】
山中座
住所:石川県加賀市山中温泉薬師町ム1番地
 
  【加賀市山代温泉】
薬王院温泉寺
住所:石川県加賀市山代温泉18-40甲
    【加賀市山代温泉】
山代温泉 古総湯
住所:石川県加賀市山代温泉18-128
    【加賀市大聖寺】
竹の浦館
住所:石川県加賀市大聖寺瀬越町イ19-1